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大分地方裁判所日田支部 平成元年(ワ)26号 判決

主文

一  被告八木洋一は原告に対し、金五九五九万一六〇六円及びこれに対する昭和六一年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告八木洋一との間においては、原告に生じた費用の一〇分の三を被告八木洋一の、その余は各自の負担とし、原告と被告高倉三枝子間との間においては全部原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金八〇七五万四四四〇円及びこれに対する昭和六一年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  事故の発生

昭和六一年一〇月五日午前一一時ころ原告が自動二輪車(以下「原告車両」という。)を運転して国道二一二号線を日田市方面から松原ダム方面へ向かって進行中、大分県日田郡大山町大字西大山響峠先路上(以下「本件事故現場」という。)において、被告八木洋一(以下「被告八木」という。)運転の軽四貨物自動車(以下「八木車両」という。)と接触し、転倒し(以下「第一事故」という。)、その直後同車両の後続車であった被告高倉三枝子(以下「被告高倉」という。)運転の普通乗用自動車(以下「高倉車両」という。)に衝突した(以下「第二事故」という。)。(なお第一及び第二事故を併せて以下「本件事故」という。)

2  損害の填補

原告は被告八木の加入していた自賠責保険から金一八四六万円を受領した。

二  争点

1  被告八木の過失の有無

2  同高倉の過失の有無

3  原告の損害額

第三判断

一  事実関係

右争いのない事実、甲第一四号証、証人小畑恵津男の証言、検証の結果、被告八木本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

1  本件事故現場は中津江村方面と日田市方面を結ぶ国道二一二号線(以下「本件道路」という。)上で、アスファルト舗装がされ、道路中央には黄色線が引かれ、追越しのための右側部分はみ出し禁止となっており、法定制限速度は時速四〇キロメートルである。右道路の幅員は日田市方面に向かって左側が三・一メートル、同じく右側が三・二メートルであり、その外側にはそれぞれ幅四〇センチメートルと同三〇センチメートルの路側帯がある。事故当時の天候は晴れで道路は乾燥しており、交通量は普通であった。

本件事故現場付近の道路は日田市方面から中津江村方面に向かって緩やかな下りで、S字になっており、道路左側は樹木が繁っていて見通しは良くなく、道路中央の黄色線の左約七〇ないし八〇センチメートルから右斜め方向に長さ約七・四メートルの擦過痕があり、これは原告車両が転倒した際に同車両のスタンドによって同路面に印象されたものである。

2  被告八木は第一事故の原因は原告車両がセンターラインを越えて八木車両進行車線内に進入し、同車両に接触したものであると主張している。

(一) 実況見分調書(甲第一四号証)の記載、被告八木の警察官調書(甲第一五号証)の記載、被告八木が大分調査事務所に提出した回答書(丙第一号証の二)の記載及び被告八木本人の供述は、被告八木が時速約四五キロメートルで日田市方面に向かって本件道路を進行していたところ、前方約九・三メートル先に原告車両を発見した。そのとき原告車両はかなり速度を出していたが、同車両と衝突する危険は感じなかったものの少しハンドルを左に切って同速度で約四・九メートル進行した地点(以下「第一衝突地点」という。)で原告車両が八木車両の右後輪ホイール部分に衝突し、八木車両はその後約四〇ないし五〇メートル進行した地点で停車したとしている。

なお被告八木は原告車両が転倒し、八木車両に衝突したところは見ておらず、その衝突したショックは感じなかったとしている。

(二) 被告高倉の警察官調書(甲第一六号証)には、原告車両がスピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れず中央線を割って入ってきて、高倉車両と衝突した(以下「第二衝突地点」という。)旨記載されている。被告高倉が大分調査事務所に提出した回答書(丙第二号証の二)には原告車両はスピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れずに転倒した旨記載されている。被告高倉本人尋問の際に同人は原告車両は本件道路のセンターラインのところで転倒し、八木車両に衝突あるいは接触したと述べたが、その後接触は一瞬のことで覚えていないと述べているものの、概ね被告八木の主張に副うものとなっている。

(三) 以上の事実をもとに第一事故の態様を考察すると、八木車両は原告車両を前方約九・三メートルに発見してからのち時速約四五キロメートルで約四・九メートル進行した地点で原告車両と第一衝突地点で衝突しているのであるから、八木車両が原告車両を発見してから右地点に達するのに要する時間は約〇・三九秒である。八木車両によって確認された原告車両の位置から第一衝突地点までの距離は丙第三号証の一によると約六メートルとなり、これから推測される被告八木によって発見された原告車両が八木車両に衝突するまでの間の原告車両の平均時速は約五五キロメートルとなり、さらに原告車両は八木車両に衝突するまでに転倒しているのであるから、同車両が転倒する前の時速はそれよりさらに速かったこととなり、右結論は原告車両がかなり速度を出していたという被告八木の供述や被告高倉の警察官調書、大分調査事務所に提出した回答書及び同人の供述に副うものとなる。

ところで、原告車両の転倒の原因を前記のとおり同車両のスピードの出し過ぎによる制御機能の喪失と仮定し、原告車両が転倒してから八木車両に第一衝突地点で衝突したとすると、被告八木が原告車両を発見した地点から前記擦過痕の始点までの約一・四メートル(丙第三号証の一)進行した地点で原告車両は転倒し、その後約四・六メートル進行した地点で原告車両と衝突しているのであるから、八木車両の時速を四五キロメートル、原告車両の時速を五五キロメートルとすると被告八木によって前方約九・三メートルに発見された原告車両はその後約〇・〇九二秒後に転倒し、その間八木車両は約一・一五メートル前進しているから原告車両は八木車両の前方約六・七五メートルの地点で転倒したこととなる。つまり、被告八木は原告車両を発見したのとほぼ同時に原告車両が転倒していることになるから被告八木は原告車両が転倒したところを目撃し、その後八木車両に衝突するのも認識できたはずであるが、被告八木は一貫して原告車両が転倒し、八木車両に衝突したところを目撃していないとしている。

また、第二衝突地点は実況見分調書及び丙第三号証の一によると第一衝突地点から中津江村方面に約三メートル進行した地点であり、原告車両の速度は転倒後約三メートルしか進行していないこと及び八木車両との衝突は軽微なものであることを考えると、前記のとおり時速約五五キロメートルと考えられ、高倉車両の速度を時速約四五キロメートルとすると、原告車両が第一衝突地点から第二衝突地点に達するまでの時間は約〇・一九六秒となり、従って高倉車両は八木車両が第一衝突地点にいた時点には第二衝突地点後方約二・四五メートルに位置することとなり、従って、八木車両と高倉車両の車間距離は約五・四五メートルとなる。

しかし、時速約四五キロメートルで進行している普通乗用車が本件事故現場のような交通量も普通にある道幅が広いとはいえない山間部のカーブでしかも右前方が林で見通しが悪い本件事故現場を右のような車間距離で走行することは通常考えられない。

さらに事故直後の被告高倉の警察官調書や実況見分調書には原告車両が転倒した旨の記載はないのに、昭和六二年九月七日に作成された大分調査事務所宛の回答書には原告車両が転倒した旨記載され、その後平成元年一二月一九日の被告本人尋問の際にも原告車両が転倒したと供述しているところ、原告車両が転倒して衝突したか否かは重要な事実であり、それが事故直後の警察官調書や実況見分調書に記載されていないのにその後になって転倒した旨記載された回答書が作成されていることには疑問があり、また右回答書や被告高倉の供述によっても、原告車両が転倒した場所については明確にされない。

以上被告八木が主張する第一事故の態様は不合理な点や疑問が生じることとなり、採用することはできない。

3  原告は第一事故は被告八木車両が原告車両走行車線内に進入してきて原告車両に接触したと主張しているところ、第一事故の態様を再度検討すると、問題なく取り上げうるのは原告車両から進行方向に向かって中央線左側約七〇ないし八〇センチメートル内側の地点から第二衝突地点まで原告車両のスタンドがアスファルト舗装の路面を擦ってできた長さ約七・四メートルの擦過痕が存在すること、高倉車両と原告車両が第二衝突地点で衝突していること、八木車両右後部車輪のホイール部分に原告車両のタイヤの跡があること、被告八木は原告車両の転倒及び衝突にも気がつかなかったという事実である。

以上の事実をもとに第一事故について考察すると、被告八木は原告車両を初めて発見したとき特段危険は感じていなかったのであるから、衝突するとは思わずほぼそのままの速度及び進路で進行したものと考えられ、原告車両が八木車両の死角に入り、同車両の右後輪のタイヤホイール部分に衝突したが、その衝突の程度は軽微なものであった。そして、原告車両はその進行方向に向かって中央線左側約七〇ないし八〇センチメートル内側の地点において転倒して、そのまま直進し高倉車両と第二衝突地点で衝突していると考えられる。

右を前提とすると、本件事故の原因は八木車両は原告車両進行車線内に進入し、これを避けようとした原告車両が避け切れず、八木車両の死角内である右後部車輪付近に衝突し、転倒して、高倉車両に衝突したということとなる。この仮定が成立する可能性について、鑑定の結果及び証人太田安彦は八木車両と原告車両の衝突位置を考察するについては客観的資料である実況見分調書をもとに工学的見地から擦過痕から推測される原告車両の進路と八木車両の通常の走行方法による進路とを予測すると八木車両については特別な走行経路を仮定しなくても原告走行車線内において原告車両と衝突した可能性は十分高いとしている。

本件全証拠によっても本件事故発生前から本件事故の発生までの八木車両の正確な走行軌跡は明確にすることはできないので、八木車両と原告車両の衝突位置を考察するについては八木車両については通常の走行方法による走行位置を前提にし、原告車両については擦過痕をもとにその進路を予想することにしている。なお、被告八木補助参加人は擦過痕の形状及び位置が鑑定人が鑑定書の中で作成し、原告車両の進路の考察のもととしている図面と実況見分調書の添付の図面とでは異なっていると主張するが、丙第三号証の一及び二を比較しても擦過痕の終点の位置は図面上にして一ないし二ミリ程度の差はあるものの、このことで鑑定人作成の右図面が不正確であり、それにもとづいて想定される原告車両の走行軌跡が全く不正確であるとはいえない。また、擦過痕の長さについては原告車両の走行軌跡を考察する上で影響は出ないと考えられる。

以上の原告車両と八木車両の走行軌跡を前提とすると右記載の位置で両車両が衝突する可能性が高いというものである。これはあくまで八木車両については現実の走行軌跡でなく一般的に考えられる走行軌跡を前提としての結果であるので、右鑑定の結果だけによって原告車両と八木車両が原告走行車線内で衝突したという結論を導きだすのは早計であるが、右鑑定結果はその可能性が高いことを示唆しているうえ、右のように仮定することで被告八木が原告車両の衝突や転倒に気がつかなかった点が説明でき、また高倉車両と八木車両の車間距離についての前記の疑問も以下のとおり解決しうる。

まず、原告車両は速度を出し過ぎて転倒したのではないから、本件事故現場の状況や原告本人尋問の結果から原告車両の時速は約三〇キロないし三五キロメートルとするのが妥当である。次に高倉車両の速度を時速四五キロメートルとすると、原告車両は八木車両に衝突してから約七・四メートル進行した第二衝突地点で高倉車両と衝突しているのであるから、原告車両が八木車両に衝突した後約〇・七六秒ないし〇・八九秒後に第二衝突地点で高倉車両と衝突していることとなり、第一衝突地点に八木車両がいたときには高倉車両は第二衝突地点の後方約九・五メートルないし一一・一メートルの地点にいたことなり、従って八木車両からは約一六・九メートルないし一八・五メートル後方にいたこととなる。右車間距離は本件事故現場の道路状況から見ても著しく不合理なものとはいえない。

以上から、八木車両が原告車両走行車線内に進入して原告車両に衝突したものといえる。

4  第二事故の態様

第二事故の態様は以下のとおりと考えられる。

八木車両と原告車両は高倉車両前方約一六・九メートルないし一八・五メートル前方において、原告車両走行車線内において衝突し、原告車両は転倒して右地点から約七・四メートル進行した第二衝突地点で高倉車両と衝突した。

二  争点に対する判断

1  八木車両は原告走行車線内において原告車両に衝突しているのであるから、被告八木には第一事故発生について過失があり、他方本件全証拠によっても原告には過失相殺すべき事情はない。

2  原告は被告高倉には車間距離不保持、前方不注視、徐行義務違反があると主張しているが、被告高倉は八木車両との車間距離を約一六・九メートルないし一八・五メートル取っていたものであるところ、甲第三〇号証記載の警視庁管内交通指示事項(昭和二六年五月一日施行)によると時速四五キロメートルで進行する車両はその車間距離を一七メートル以上とるように指示しているものであるが、昭和二六年当時と比較して現在の車両の制動能力は向上していると考えられるのであるから、被告高倉が右記載の車間距離を保持していれば、車間距離保持義務に違反しているとはいえない。また、原告車両は高倉車両の前方約一六・九メートルないし一八・五メートルで八木車両と衝突しているもので、被告高倉が右地点より前方において第一事故に気が付いたと認めるに足りる証拠がない以上同人は右時点において初めて危険を感じたものであると認められるところ、その後約〇・七六秒ないし〇・八九秒という時間は危険を認識して急制動をかけて制動が始まるまでの時間にほぼ匹敵するのであるから、被告高倉は原告車両との衝突を回避することは不可能であり、同人に過失はなく、従って、原告に対し損害賠償義務は負わない。

3  原告の損害

第一事故により原告車両が転倒しなければ高倉車両と衝突することはなく、また原告車両が転倒後さらに他の車両に衝突するなどして傷害を負うことは本件事故現場の状況からみて通常ありうることであり、従って、被告八木の右過失行為と原告主張の損害には相当因果関係がある。

(一) 逸失利益 請求額金七〇二一万四四四〇円

認容額金五〇七三万四〇〇六円

甲第一二号証、同第二三号証の一、原告本人尋問(第二回)の結果及び弁論の全趣旨によると原告は昭和四四年八月五日生まれの男子で本件事故当時九州学院高等学校三年生で昭和六二年三月には同校を卒業し、同四月から少なくとも六七歳までは稼働できるはずであったが、本件事故により障害者一級の認定を受け、原告の労働力は一〇〇パーセント喪失したものと認められる。よって、原告の逸失利益は昭和六二年四月から同人が六七歳に達するまで毎年少なくとも昭和六一年賃金センサスによる産業計・企業規模計・旧中・新高卒男子労働者の平均賃金である金四一五万五八〇〇円を得ることができたと推認でき、右額を基礎として、一八歳から六七歳までの四九年間に該当するホフマン係数二四・四一六を乗じ、生活費控除を五割として計算すると原告の逸失利益は金五〇七三万四〇〇六円となる。

計算式 4,155,800×24.416×0.5=50,734,006

(二) 慰謝料 請求額金二〇〇〇万円

認容額金二〇〇〇万円

原告は障害者一級の認定を受けていること等本件に顕れた一切の事情を考慮すると、同人の受けた精神的苦痛を慰謝するために相当な額は二〇〇〇万円を下らない。

(三) 入院及び通院付添費用等

請求額金三〇〇万円

認容額金一九一万七六〇〇円

原告本人尋問(第一及び第二回)の結果、甲第二、第三、第五号証及び第二三号証の一によると、原告は本件事故により昭和六一年一〇月五日から同六二年一二月二一日までの四四三日間久留米大学病院に入院し、同六三年九月二二日から同月二七日までの六日間岩尾病院に入院し、同年一〇月五日から平成元年三月二日までの一四九日間岩尾整形外科病院に入院した事実、昭和六二年一二月二一日から平成元年三月二日までに岩尾病院もしくは岩尾整形外科病院に検査等診察で合計五七日通院し、うち投薬のみで通院した日数は二二日である事実、原告には介護が必要であり、付添がないと通院等はできない事実が認められる。

付添費用については原告が入院した日数は五九六日間であり、この間一日当たり金三〇〇〇円の付添費用が必要であったと認められ、その合計は金一七八万八〇〇〇円となる。さらに、右通院のうち投薬のみの通院を除く三五日間には付添が必要であると認められ、この間一日当り金二〇〇〇円の付添費用が必要であったと認められ、その合計は金七万円である。

従って、入院及び通院に支出されたと認められる付添費用の合計額は金一八五万八〇〇〇円となる。

入院雑費として一日当り金一〇〇〇円が必要であると認められ、その額は合計金五万九六〇〇円となる。

なお、右以外に雑費として支出したと認めるに足りる金員はない。

(四) 損害の填補

原告は金一八四六万円を損害の填補として受領した。

以上から、原告の填補されていない損害額の合計は五四一九万一六〇六円である。

(五) 弁護士費用 請求額六〇〇万円 認容額五四〇万円

本件損害額と相当因果関係にあると認められる弁護士費用は五四〇万円が相当である。

(六) よって、被告八木は原告に対し、金五九五九万一六〇六円の支払義務がある。

(裁判官 今中秀雄)

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